気まぐれ日記 2016年10月


2016年9月はここ

10月1日(土)「2週間ぶりの筋トレ・・・の風さん」
 5時54分という日の出予想時刻に起床。ワイフは危険回避のため、長女の部屋で寝ている。私はすぐに寝室のカーテンを開けてみた。
 外はもう明るかった。じっと目を凝らす。柿の木の葉っぱが風に揺れていてまぎらわしい。
 が〜ん! いるいる、たくさんハチが飛んでいる。だめだこりゃ。
 カーテンを閉めて、ベッドに戻った。
 8時半に再び起床したが、あまり寝た気がしない。
 大曲の友人へレターパックを用意することから1日の仕事を始めた。とにかくやることが多いのだ。
 午後もひたすら懸案事項を処理していく。来週も過密スケジュールなので、重要案件に集中するためには、細々したことを事前に片付けておくのがよい。気まぐれ日記のバックアップのメンテナンスの残りも少しした。
 これが4時まで順調に進んだので、2週間ぶりの筋トレに出かけた。
 左の五十肩の痛みがだいぶなくなってきたので、今年初めてラットプルダウンの動作をやってみた。負荷をかけなければできることが分かった。これはうれしかった。
 帰りに、午前中用意したレターパックを投函した。
 夕食後、1週間後の特別講演のために用意した予稿を読んでみた。これはかなりしっかりした原稿になっているので、講演で十分話せないことも、これで補足できる。少し安心した。しかし、講演スライドにはまったく手が付けられていない。

10月2日(日)「いつもの上京前日風景・・・の風さん」
 上京前日だ。準備が終わっておらず、いつも通り、まったく余裕がない。これはやはり性格というものだろう。
 柿の木を見ると、ハチが周囲を飛んでいる。しかし、スズメバチの姿は見えない。せめてスズメバチだけでも来なくなればうれしいのだが。
 朝から関孝和を主人公にした児童文学の第3校ゲラの著者校正に着手した。来月のどこかで出版されるので、いよいよ大詰めである。
 自分が書いた原稿なので、すいすい読める(笑)。もちろん児童文学だから、ということもある。
 物語としては面白くできている。しかし、この作品のもっとも難しいのは、おとなでも理解するのが難しい関孝和の数学の業績を、子どもにわかるように書けるかということだ。これをずっと考えていたが、それは不可能だと思った。
 数学の業績を分かってもらうことよりも、関孝和の数学への取り組み姿勢や、人としての生き方の正しさを伝えることがもっと大事だという結論に達した。
 午後までこの校正作業が続き、その後、明日の準備を開始した。今年購入したミニサイズのキャリーバッグを初めて使うことにした。
 疲労も出たので、少し横になり、今日も草刈りは中止だ。
 今日最後の仕事は、N社への簡単な企画書の作成だった。新たな取り組みが開始できるか、明日相談することになる。
 気になるのは、水曜日の非常勤講義や1週間後の特別講演の準備だが、結局、それはできずに夜になった。上京中に何かひらめくこともあるだろう。
 明日のために早めに就寝することにした。
 
10月3日(月)「上京初日・・・の風さん」
 久しぶりにのぞみで上京する。午前中からスケジュールを組んであるからだ。
 通勤や通学で利用される最後くらいの電車に、最寄りの駅から乗り込んだ。そのお陰で座れた。
 電車は少し遅れて名古屋に着いたが、乗り継ぎの時間に余裕があったので、焦ることはなかった。
 のぞみの車内では、持参のビジネス本を少し読んだ。
 日刊工業新聞社へ行って、昨年出版した本のPRを頑張っていることを説明した後、新しい本の企画について相談した。ハードルは高いと思っていたので、覚悟はできていたが、あまり無茶はできないと思った。これからじっくり企画を練って、何とかモノにしたい。なぜなら、今後も担当しそうなセミナーのテキストとして使えそうだからだ。
 こちらも久しぶりにオキュルスに行った。編集者である知人の展示を見学するのが目的だったが、けっこうお客が来ていて、その中に高山ケンタファミリーがいた。僕の小さい頃とよく似て、まだ幼い男の子が精一杯泣いていた。両親の苦労をあらためて感じた。だから、自分の子どもらにまだ手がかかろうと、まったく問題でない気がした。親の愛情は海よりも深いのだ。
 編集者と池袋へ移動し、喫茶店に入り、また別の編集者と合流し、来年の本の企画構想について打ち合わせたが、前回の打ち合わせの結果と異なり、出版社としてはやはり予定通り出したいということで、スケジュールが俄然厳しいものになった。とりあえず1.5稿が出来ているので、私は原稿の完成度を早急に上げなければならない。
 今月末までに第2稿を出して打ち合わせることにした。
 ジュンク堂池袋本店へ移動し、11月に出る予定の児童文学の出版記念トークセッションの相談をした。編集者2名が同行してくれたので、話はスムーズに行き、1月末の日程も確定した。
 帰りに10月の新刊文庫コーナーをチェックしたら、『和算の侍』が2冊しかなかった。早くも売れてしまったのかもしれない。だとすれば、嬉しい限りだ。
 FB上でも『和算の侍』の出版の話題で盛り上がっていて、知人・友人らの行為をありがたく思った。
 小雨の降る中、電車で今宵の宿のある三鷹へ向かった。
 チェックイン後、近くのレストランへ晩ご飯を食べに行き、少しスタミナをつけて帰った。
 明日のセミナーの講義資料をおさらいし、メールチェックなどして、午前零時前に就寝した。

10月4日(火)「セミナー講師は難しい・・・の風さん」
 ボケのせいだろう、セミナーの開始時刻は9時半だと思い込み(スケジューラーにそのように入力してあった)、会場に1時間以上前に到着した。企画担当者は早朝から来ているのは分かっていたが、現場の担当者はまだ出社前だった(笑)。
 いつものようにベストを尽くすのが私のやり方なので、ポツポツとやってくる受講者に、今日のセミナーの期待を聞いた。私の想定したものと違う希望があって、まだまだセミナー講師としての未熟さを感じた。
 今日は満席なので、午前中に講義をすべてやってしまい、午後はグループディスカッションに集中する形にした。
 膨大な講義資料だったが、午前中(実際は12時半まで)で終えることができた。
 昼食後、6つのグループに分かれてのディスカッションになり、私は進行役つまりタイムキーパーに専念した。事前に作っておいたタイムスケジュールとキッチンタイマーが威力を発揮した。順調に推移し、別途収集した膨大な質問票に答える時間を15分ほど捻出できたが、実際は25分くらいかかってしまい、約10分時間オーバーしてセミナーを終了した。
 秋田と同様に、終了後も声をかけてくださる受講生が何人かいて嬉しかった。
 しかし、アンケート用紙をすべてチェックすると、必ずしも大満足ではなく、普通の評価だったので、カリスマ講師ははるか雲の上だと思い、少々落ち込んだ。
 今日は湿度が高く、非常に蒸し暑い日だった。
 帰りの新幹線(こだまのグリーン)に乗車し、さっと弁当を食べてしまった後は、明日の非常勤講義など、名古屋に着くまで、ほとんど仕事をしていた。
 絶妙のタイミングで名鉄に乗れるはずだったが、名駅に着いたら、発車時刻表示板が真っ暗だった。犬山線で人身事故があったらしく、その絶妙なタイミングで乗れる電車は運休になってしまった。1時間は帰宅が遅くなるだろうと覚悟した。
 想定外のセントレア行きに乗り、太田川で乗り換えて、それでも30分遅れで(同じように影響を受けた次女と一緒に)帰宅した。
 明日の非常勤講義の準備を少しして就寝したが、土曜日の講演の準備ができていないので不安でいっぱいだ。

10月5日(水)「講義と病院と・・・の風さん」
 ギリギリまで非常勤講義の準備をし、キャメロンで出発した。
 電車の中でも参考書を読み、教科書のおさらいをした。
 本山に着いて、近くのレストランで軽く昼食を摂り、昼食後も講義のための勉強をした。
 先週から学生が3人減っていた。もしかすると、選択をやめたのかもしれない。わたしの講義は決して甘くないので(その代わり、とても印象深い勉強ができるはずだが)、あとで正規の受講者を確認する必要がある。
 講義後の休憩は短めにして、本山キャンパスを後にした。
 いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だったが、傘を使うほどではなかった。
 明後日の浜松出張のために、キャメロンに少し給油し、5時過ぎに帰宅した。まもなくワイフも帰ってきたので、駅まで迎えに行った。
 今日は新刊をマキノまで届けたかったが、その余裕はなかった。来週になってしまうが、しかたない。
 今夜はペコを病院へ連れて行くことになっていた。
 甘えているのだろう、逃げるペコをつかまえてケージに入れ、ワイフのアクアで出発した。クルマが嫌いなペコのために、往復とも有料道路を使う。幸い空いていたので、突っ走る。
 小雨が降っているせいか、病院は空いていた。それでも、すぐに呼ばれることはなかった。待合室ではペコは落ち着かず、鳴いていた。すぐ隣の小学校4年生の女の子が近付いてきて、ケージの中のペコを見て「可愛い」を連発した。女の子の母親が連れて来ているのは犬だった。ワイフと会話を始めたその子は、ペコやその犬よりも可愛い気がした(老人病のせいか)。
 いつものように診察室でペコはおとなしくなった。2週間前と体重がほとんど同じだったので、安心した。
 診察が終わったころ、次女も帰りの電車に乗ったというメールが入り、駅まで迎えに行けるか微妙なタイミングになった。
 会計が早く終わり、帰りの有料道路も空いていたので、ワイフとペコを家でおろし、余裕しゃくしゃくで次女を駅まで迎えに行くことができた。
 すっかり疲れてしまった私は、土曜日の講演の準備を気にしつつ、さっさと寝ることにした。

10月6日(木)「土壇場の講演準備・・・の風さん」
 明日は浜松まで出かけるので、講演の準備は今日中に終えるしかない。とうとう土壇場(罪人が首を切られる場所のこと)になってしまった。
 あれこれと悩んでいたが、幸い予稿を力いっぱい書いてあったので、予稿とセットの(つまり予稿に沿った)講演にすれば、たとえ不出来な講演でも、予稿が補ってくれるかもしれない(今さら全くオリジナルな講演など考えられないというのもあるが)、という結論になった。
 そして、講演時間は60分なので、スライドの枚数は正味30枚(つなぎのスライドは数えない)にすることに決めた。
 とは言え、今日は正午からリハビリである。11時過ぎに家を出て、戻ってきたのは12時半だった。この1週間、進展はほとんどないが、時期がくれば治る五十肩なので、これからも油断しないようにしないと可動範囲がせばまった状態で固まってしまう。
 スライド作成を始めてみると、90分の講演を4、5回はできそうな内容なので、この作業は困難をきわめた。
 今週、マキノへ行く予定だったが、とても無理だった。
 スライド作成に夢中になっているうちに、火曜日のセミナーの落ち込みなど消えていた。
 何とか最後までたどり着いたが、完成からはほど遠い。しかし、作成したものを寝かせる時間は確保できた(これが重要だ)。
 外へ出ると、上弦の月が中天にかかっている。キャメロンに乗り込んで、明日の目的地をナビにセットした。

10月7日(金)「東名工事に立腹・・・の風さん」
 7時半に出発した。昨年来何度も出かけている方面なので、走行ルートに不安はほとんどない。
 伊勢湾岸自動車道に入るまで、まったく順調だった。このペースなら、休みなしで30分前の9時に到着できそうだった。
 ところが、旧東名に入る直前で、工事渋滞にはまってしまった。のろのろ運転どころではない。ほとんど停止状態。なんなんだ〜これは?
 新東名の岡崎ルートが開通したことで、旧東名の岡崎周辺の渋滞緩和のため3車線70キロ制限にしていた区間を、元の2車線100キロ制限に戻す工事だった。はっきり言って愚かしか言いようがない。計算上は3×70=210が2×100=200に走行可能量が若干減ると考えているのだろうが、それは子どもの計算だ。実際というか事実は、3×90=270が200に減少することになるだろう。元の渋滞路線に戻るだけだ。
 工事はほとんど終わっているにもかかわらず、新しい2車線道路を1車線ふさいだ状態なので、今朝は1×50=50に走行可能量が激減していた。平均速度は50キロどころか10キロ程度である。お金だけかけて、改善でなく改悪するのだから呆れてものが言えない。
 岡崎インターを過ぎたところで、ようやく流れ出したので、美合パークに寄って、到着は10時近くなると電話連絡した。既に9時を回っている。
 結局、生産技術マネジメント研究会企業視察の現地に着いたのは10時直前で、大変な遅刻だった。自宅から2時間半近くかかった。
 午前中の講義は、頑張っている中堅企業の努力を知ることができ、とても勉強になった。私も持参の動画ファイルを提供できた。
 昼食後の工場見学も、実にていねいに解説してもらいながらの見学だったので、じっくり見学し質問もたくさんできた。
 残り1時間ちょっとがチームミーティングの時間にあてられたが、明日の講演準備がピンチなので、MacbookAirを開いて、スライド作成の続きをやった。
 帰りに浜名湖SAでお土産を買い、夕闇迫る中、家路を急いだ。今朝、腹を立てまくった工事は、やはりほとんど終了していて、片付けも最終段階だったので、スムーズに走れた。しかし、名古屋に近付くほどクルマの量は増えた。いちおう都市圏なので、今後も人口とビジネスが集中していくはずだ。交通の問題は続きそうだ。
 夕食後、スライド作成の仕上げに入り、スピーチ原稿の検討に着手した。スピーチ原稿はほとんど作ることがないが、今回は時間が限られているので、余計なことをしゃべっている余裕はないのだ。
 最後に荷物や服装の準備をした。

10月8日(土)「仕事のピークを乗り切った・・・の風さん」
 今朝も6時半起床。9月から続いている仕事のピークも、今日なんとか乗り切れば一段落する。気合を入れて、最寄りの駅から電車に乗り込んだ。幸い、土曜日ということで、電車は空いていた。昨夜作ったスピーチ原稿に目を通した。
 本山キャンパスの隣の自由ケ丘キャンパスで降りた。使うのはこれが二回目の小型キャリーバッグが、重い荷物の負担を軽減してくれる。
 改札を出たところで、日本経営診断学会第49回全国大会のプラカードをかかげた人が立っていて、出口を示している。今日はその初日で、特別講演を依頼されているのだ。身が引き締まるとはこういう感覚を言うのだろう。
 特別講演は午後一番からだが、午前中の前半のセッションを聴講した。3つとも発表者が知人なので、発表後にすべて手を上げて質問した。発表後にどこからも質問が出ないのは、盛り上がりに欠ける。微力ながらも協力したというわけだ。
 後半のセッションは聴講をやめて、休憩しながらまたスピーチ原稿に目を通した。
 田村先生と研究室で昼食を摂り、特別講演会場へ行っていつものようにMacbookAirを準備した。OA機器が新しいとマッチングに問題はなく、あっという間に準備は終了した。
 私の講演の聴講にはたくさんの人たちが来てくれた。知人がたくさん含まれていたが、学生も多く、彼らには話が難しくなると申し訳なく思った。
 初めて、マルチサイエンスライターとして堂々と講演した。すべてのジャンルに話題が飛ぶので、大学の先生には面白かったと思う。
 スライド枚数を減らしたにもかかわらず、そして、スピーチ原稿で内容をしぼったにもかかわらず、10分もオーバーしてしまった。
 特別講演後はパネルディスカッションになり、そこにも登壇し、質問に答えたが、もうかなりエネルギーを消耗していた。
 学会の総会が開催されている間は、田村先生の部屋でウトウトしていた。
 懇親会では、たくさんの質問に答えようと、料理や飲み物にはほとんど手を出さなかったが、特定の人(今日初めて会った人たちだが)と長々と交流し、終了後の片付けのときに新たな質問者がやってきて、また少し後悔した。
 自由ヶ丘キャンパスでの長い一日が終わって、家路についた。
 帰宅すると、長女がでっかいモンブランケーキを焼いて持って来ていた。
 懇親会でほとんど食べていたなかったので、その極上ケーキを皆でワインを飲みながら食べた。
 酔うほどに、長かった仕事のピークを乗り切った実感がわいてきた。

10月9日(日)「きりたんぽ、雪の茅舎、いぶりがっこ・・・の風さん」
 起床して窓の外を見ると、柿の木はだいぶ色あせてきたが、まだハチが飛んでいた。
 のんびりした日曜日の朝である。
 昼前に長女はワイフと一緒に遊びに出かけた。
 私は、昼食を摂る元気もなく、再びベッドに戻った。
 夕方、外が暗くなり始めたころに起きだした。既に5時半を回っている。
 階下におりると、早々と外出から帰った次女は寝ていて、静かな室内に異様な緊張が走っていた。ペコが目の前で吐いた。
 その後始末は大変だったが、そんなことより、昨日も吐いていたので、ペコの病状が進んでいるのが気になった。
 やがて長女とワイフが帰宅した。
 ペコの心配は心配として、晩ご飯は特筆すべきものになった。
 この間わたしが秋田で買ってきたきりたんぽ鍋である。セリだけは入手できないが、それ以外は本格的に準備されている。わたしはワイフと大好物の雪の茅舎(秋田のお酒)を飲み、ときどきいぶりがっこも口に入れた。秋田一色のごちそうだ。
 今日はほとんど寝ていたのだが、これでようやく仕事の疲れも飛んで行きそうだった。

10月10日(月)「祝日を初体験?・・・の風さん」
 今日は、現役中はほとんど関係のなかった祝日(体育の日・・・東京オリンピックの記憶はしっかりある)で、3連休だそうだ。愛知県はトヨタカレンダーで動いているから、平日と同じだろうと、私は傲慢に思っているが、今日も外出した。きっと世間が分かる。
 ワイフはトール教室があるので、長女と先ずセントレアへ行った。有料道路が民営化されて料金が半額になっていた。土産物店で秋田の友人への贈り物を手配し、ついでに中華でランチした。秋田から帰ってきたとき、迎えに来たワイフと座った同じテーブルへ案内された。セントレアの混雑ぶりはふだんと同じか?
 続いて、AEON常滑店へ行った。ここはけっこう混雑していた。セントレアでランチしたのは正解だった。目的の雑貨店に入ると、そこはガラガラだった。長女がプレゼントしてくれたカエルのおもちゃの相棒であるフクロウがあるか確認したら、一昨日はなかった茶色が一個だけあったので、迷わずゲット。店内をざーっとウィンドウショッピングして家路についた。道路も混んでいた。どうやら世間は祝日らしい。ポケモンを狙っている若者たちがたくさん常滑駅前に集まっていた。
 帰宅して、買って来たフクロウとカエルをコラボさせてみたが、カエルの動作はおかしい。やはりカエルは外部からの信号を受け取れないのだ。いずれにせよ、保証書が見当たらないので、店とメーカーとどちらが対応してくれるのか、不明である。
 長女と私にお誕生日プレゼントメールが届いていたので、昨年に続いて、メール会員になっているファミレスへ3人で行った(次女は外食)。出発直前にペコが吐いた。だんだん具合が悪くなってきているようだ。
 ファミレスでは、サラダバーをたっぷり楽しんで、プレゼントももらって夕食を終えた。
 明日朝が早い長女を名古屋まで送った。
 今日は遊んでばかりの一日だったが、けっこう元気だった。仕事が一段落したことと、五十肩がかなり良くなってきているせいだろう。
 そして、ごく普通の人のように、祝日を楽しんだ。もしかすると、こんなことは30年以上なかったのかもしれない。

10月11日(火)「やはり今日は平日・・・の風さん」
 フクロウとカエルを買った店に電話してみた。近年のビジネススタイルが徹底されていて、客の苦情にけっして文句は言わず、新品を宅配で送るから不具合品を折り返し送ってほしいと言う。しかし、それではこの不具合が明確に伝わらない気がしたので、持参することにした。相手は恐縮していた。
 昨日とうって変わってAEON常滑店はガラガラだった。これが平日の状態なのだ。
 店員3人とああでもないこうでもないと色々と試してみたが、持参したカエルは正常な動作をしなかった。それで、ちゃんとした動作をしたカエルをもらって帰った。帰宅した後、ワイフから「楽しかったでしょ?」とツッコミが入った。確かに。店員3人は皆うら若き女性だった。カエルやフクロウと格闘しているボケ老人と3人のうら若き女性。はたから見たら、さぞかし滑稽な風景だったろう。
 AEON常滑店から潟}キノへ向かった。『和算の侍』を届けるのが目的だった。アポなしで行ったので、相手は不在だった。
 帰宅し、カエルとフクロウのコラボを試みると、連結すれば歌を歌うはずなのだが、それは再現しなかった。まったくつながりのない掛け合い漫才(ただ言い合っているだけ)はする。アホみたいだ。
 明日は非常勤講義がある。その準備はとうとう前日の夜、ということになってしまった。
 幸い、昨年までしっかり準備してあった内容なので、おさらいするだけで、だいたい準備はできた。Excelのゴールシーク機能を忘れていたので、思い出す必要があった。

10月12日(水)「訃報に打ちのめされた・・・の風さん」
 今朝は早めに出発した。ゆっくり走ってもだいぶ早く中継駅に着いた。ルーチンの行動だが、現役時代の、あるいは若かった頃の猛烈なスピードでの行動と比べて、のんびり感は否めない。儲からないわけだ。
 中継駅は無人駅だが、1時間に4本の電車がある。予定より1本早い電車に乗れた。
 本山駅のJP横に出る出口から外へ出た。10年前は社会人学生1年生だった。毎週土曜日に大野先生とのマンツーマン指導を受けるために、学生定期も買って通い始めていた。何でも頑張ってしまう自分がいとおしい。
 日本推理作家協会の年会費を送金し、レターパックを2個買ってから、先週も行ったレストランへ向かった。
 平日のこういった時間帯の、さまざまなスポットでの人間模様を観察するのは楽しい。現役時代にはほとんど見られなかった世間がそこにある。明らかにリタイヤした老人グループ(2人とか3人とか)、肉体労働者とおぼしき人、営業マン、大学生たちなどである。
 キャンパスへ行き、受講者名簿をもらった。やはり断念した学生がいて、減っていた。残念だ。配布プリントを用意し、教室へ向かった。
 準備はバッチリだったが、疲労のせいか、しゃべりにハリがなかったな。
 講師控室でコーヒーを飲んでからキャンパスを後にした。
 大型電気器具店に寄って、最新のファックスマシーンなど眺めてから帰宅した。
 夜、相変わらず元気が出ない私を、悲しいメールが打ちのめした。
 咸臨丸子孫の会で、まるで家族のように接してくれた小杉伸一さんが、ご病気で亡くなくなられたという。
 私より一歳上だったので、兄のように慕っていた。60歳で会社員をリタイヤされたのだが、もしかすると既に体調不良だったのかもしれない。入院されていたのなら、お見舞いに行かねばならなかった。でも、知らなかった。子孫の会とも最近は縁遠くなっていた。
 14日が通夜で、15日が本葬とのことだったので、通夜に間に合うように、弔電を手配した。横浜はちょっと遠い(キャメロンでさっと往復できる距離ではない)。
 月末、打ち合わせのために上京するので、その往復の交通手段を手配した。いつものパターンだ。

10月13日(木)「通院と草刈りと・・・の風さん」
 次女を駅まで送り、ペコにワイフと二人で薬を飲ませてから、リハビリに出かけた。
 今日はあまり混んでいなかった。昼までに、内科受診も終えた。
 それからホームセンターへ移動して、ワイフの買い物をしてから、山越えルートで帰宅した。昨日の電車での移動も同様だが、平日の行動で眺める風景は、都会であれ田舎であれ、34年間の会社員生活が長かったので、まだ違和感がある。そこに自分がいることが不思議なのだ。いけないことをしているような罪悪感すら、今でもときどき覚える。もう退社から2年半が過ぎようとしているのに。
 やらなければいけないことが、相変わらず多い。少しずつ山崩しをしていかないと、気が滅入る。
 このところ急に涼しくなってきた。日中の最高気温は24℃前後、朝の最低気温は14℃前後で、平年より低くても1℃程度だが、ついこの間までやけに残暑や蒸し暑さを感じていたので、涼しさがよけいに強く感じられる。
 久しぶりに裏の土地の草刈りに出動した。
 五十肩の痛みがかなりひいてきたことと、いくらか体力も戻っているので、元気に作業に着手した。
 それにしてもすごい伸びようだ。予定通りの範囲を1時間半で終えた。
 夜は、昨日購入したレターパック2個の荷造りをした。

10月14日(金)「屋内で山崩し・・・の風さん」
 次女を送りついでにJPの分局に寄って郵便物を3つ投函した(重量や大きさのチェックも受けて)。
 我が家のリフォームの件で、住宅会社の若い営業マンがやってきた。当分の間、リフォーム工事の決断はできないので、先週企業視察で訪問したトクラス株式会社の話や、ワイフのトール教室の場所である庭のログキャビンを見学してもらったりした。彼には勉強になったろう。
 続けて、当地の図書館へ新刊『和算の侍』を寄贈に出かけた。鳴海風の著者名で、そこの蔵書検索をすれば、30冊以上がヒットする。目指せ100冊、ということにしておこう。
 帰宅してワイフとサンドイッチで昼食にした後、急に眠くなったので、寝室へ行った。窓の外を見ると、柿の木がみすぼらしくなってきていて、ハチの飛来もほとんど見られない。そろそろハチに献上した柿の実の残りをすべて回収する時期が近そうだ。
 いくらか元気が戻ったところで、いよいよ月末の旅行のキャンセルに取り掛かった。7月1日にネット予約してあったものだが、ペコの病気のために事実上実行は困難になった。ネットにつないで、すべてキャンセルしたことで、ちょっとした脱力感があったが、仕方ない。
 続けて、最近もらった名刺をスキャナーで読んで、管理状態にした。今後のお付き合いが続きそうな方が多く、大切にしなければならない情報である。
 夕方になって一休憩した後、少し読書をして気を静めた。LINEGAMEなんかやってないで、読書しなければ、と思うのだが、人間とは弱いものだ(否、GAMEに逃避できるだけ、強いのかもしれない)。
 夕食後、来月の講演の時に配布するレジュメの準備をした。明日が納期だが、講演時間が短いという課題があり、私にとってはチャレンジとなる。事前に配布された資料と、当日配布するレジュメ、そういったものの助けを借りて、短い講演を乗り切る作戦である。
 あれこれ山崩しをしたので、明日から来年の児童文学の執筆を再開できそうだ。

10月15日(土)「バースデー・・・の風さん」
 FBの書き込みがたくさんあって、開いてみたら「お誕生日おめでとう」メッセージだった。
 子どものころは誕生日だからと言って、我が家では何もなかった。中学2年で初めて、同級生の誕生パーティに招待されてうろたえた。
 その後も何もなく過ごしていたが、家庭を持って子供ができると、がぜんバースデーを楽しむようになった。しかし、それも子供が中学生になるまでで、子供たちがバースデー離れしていった。現在はニュートラルな姿勢である。流れに任せている感じ。子どもたちから父の日プレゼントをもらうようになってもいる。
 来月出版の児童文学の最終校正ゲラが届いた。少しだけ著者校正をした。
 昼食に卵かけご飯を食べようとしたら、肝心の卵がなかった。おこげのついた冷や飯が冷蔵庫にあったので、電子レンジで温めて食べた。おかずはキムチ。気の毒に思ったワイフが、ロールケーキを切ってくれた。
 そのせいか、食後、眠くなったので、ベッドで横になった。
 実に3時間も昼寝してしまった。
 窓の外の柿の木を見たら、暗くなりかけた中で、スズメバチが1匹だけ飛んでいて、柿の実をつついていた。いつまで飛来してくるのだろう(あとで判明したのだが、巣に帰りそびれたのか、午後7時過ぎ、このスズメバチがサンルームの入り口に貼りついていて、トール教室の生徒さんが母屋のトイレを借りに入って来れなかった)。
 来月の講演用のレジュメを仕上げて、事務局へデータを送った。講演スライドも大幅にスリム化して、あとひと息というところまで来た。
 夕食後、来年の児童文学の参考資料を再読した。まだまだ十分頭に入っていないな。
 ワイフが誕生日祝いにツムツムのハートを一つ送ってくれた。普段はお願いしても絶対にくれないハートだ。

10月16日(日)「荒々しく草刈り・・・の風さん」
 朝から児童文学のゲラ校正に集中した。修正箇所は少ないと踏んでいたのだが、意外と出て来て、10箇所をこえた。
 結局、昼過ぎまでかかってしまい、急きょ、方針を変更した。出版社の検討時間を確保してもらうように作戦変更である。
 変更箇所のあるページだけPDFにして、これをメールで送る一方、現物をすぐに宅配で送ることにした。
 準備をしてコンビニへ走り、戻って来て、メールも送付。これで、出版社は明日から検討に入れる。
 安心したところで、今日の予定時間をだいぶ食ってしまった。
 すぐに完全武装して、裏の土地の草刈りに出動した。明日は雨の予報なので、今日やっておきたかった。
 1時間ちょっとかけて、荒々しく雑草を刈った。伸びる速度との勝負にいつも負けているので、なかなかスッキリしない。
 夜は、来年の児童文学のための、参考資料の勉強。昨日に続いて、また原稿に着手できなかった。
 明日からまた非常勤講義の準備もあるので、どんどん時間がなくなってくる感じだ。

10月17日(月)「AIに物申す・・・の風さん」
 天気予報通り雨が降っている。午後から上がるという予報だが、当たるだろうか。
 朝の洗面で水の冷たさを感じるようになった。真冬でも洗面は水なのでどうってことないのだが、あたふたと仕事をしていた現役時代にはこういったことにあまり関心がなかった。ついでに散歩にでも出れば、もっと季節を感じられるのだろう。しかし、まだその余裕はない。現役時代ほどではなくても、バタバタ生活が続いている。
 昨日の草刈りの疲労がとれていないようだ。気合が入らないので、あれこれと雑用をこなしていく。
 昼食は超高速ランチ。卵かけご飯だ。おかずのキムチがなくなった。
 予報通りに雨が上がった。恐るべし、スパコン。
 コンピュータといえばAIの話題が多い。さらに自動運転だ。私はAIを駆使した自動運転には大きな課題があると思っている。完成したプログラムの安全検証である。膨大なデータをもとに作られた(たとえばディープラーニングで作られた)アルゴリズムの、安全検証をどうするかが、ちょうどロボットの3原則と似て、それに違反していないことをどう確認し保証するか、それが大きな課題だと思っている。
 ナビにしたって、目的地を入力すると、推奨ルート含めていくつか提示される。推奨ルートがベストとは必ずしもいえない。自動運転の場合、時々刻々と周囲の環境に対する戦略が計算され、ドライバーの選択を待つことなく、推奨戦術が選択されていくのだ。推奨戦術と言ったって、安全確率100%なんてあり得ない。
 それらの判断をドライバーに任せている限り、事故に対する責任はドライバーの自己責任か加害者の責任と判断されるだろう。しかし、AIの場合どうなる? コンピュータのソフトのインストールと同じように、一切の責任をAIに求めないことに「同意する」という誓約書を書いたりボタンをクリックしたりするのだろうか。
 伝統的なプログラムの作成方法はフローチャートから始まっている。AIが作成したプログラムは、後からフローチャートを自動作成するのだろうか。
 夕方ついに短いダウン。
 その後、起き出して、極上のロールケーキを食べたら元気が出た。
 やっと来年の児童文学の執筆に着手。
 夜は、非常勤講義の準備も少しした。

10月18日(火)「執筆・筋トレ・柿回収・・・の風さん」
 ワイフと次女を相次いで駅まで送った。今日は雲一つない快晴である。予報によると、日中の最高気温は29℃くらいになるらしい。
 今日こそは執筆頑張らねば。
 しかし、気になる雑務を休憩代わりに処理した。ファックスを1通送信した。東京の某出版社へ電話もかけたが、これは相手がお休みでいなかった。
 今日も昼食は超高速ランチ。新品のキムチが補充してあった。
 今日は来月出版の児童文学のゲラ校正の件で、出版社から電話が来る予定だったが、夕方になるとのことだった。それで、来年の原稿の手直しに気合を入れて、スピードアップ。
 2時に久しぶりの筋トレに出かけた。予定は1時間半で、1クールで帰ってきた。
 電話を待ちながら、原稿の手直しの続きに取り組んだ。まずまずのスピードで進んでいるが、電話が来ない。やがて、5時近くなったので、暗くならないうちに柿の実の回収に出動した。
 専用の道具を抱えて、車庫の屋上に上がったら、今朝からまったく姿を見せていなかったスズメバチが1匹、どこからともなく飛来した。
 そいつがいなくなるまで、先ず、洗濯物を取り込み、続いて、屋上でラインゲームをしているうちに、どうやら巣へ戻ったらしい。やっと専用の道具を使って数個回収したところで、出版社から電話がかかってきた。
 書斎に戻って電話で打ち合わせを終え、再び車庫の屋上に戻ったら、かなり暗くなっていた。仕方なく、2階の電灯をつけて明かりをとりながら、柿の実の回収の続きをやったが、下部しか取れなかった。上部は枝や葉が邪魔してよく見えなかったのだ。
 夕食後、さすがに疲労が出、3時間ほど仮眠してから入浴、午前零時過ぎに、明日の非常勤講義の準備に取り掛かった。
 何とか午前2時半までに終えて就寝することができた。
 今日はよく頑張ったな。

10月19日(水)「寄贈書万来・・・の風さん」
 今月になって、自分の読書スピードが著しく低下するのと反比例するように、著書の寄贈をたくさん受けるようになった。
 これは明らかに「ちゃんと読書しなければいけませんよ」という諸方面(特に天)からの警鐘に違いない。
 齋藤勝裕先生の『数学フリーの物理化学』『数学フリーの化学結合』は、本そのもののユニークさよりも、著者のユニークさが際立っているかもしれない。実は、大学の大先輩で、高名な研究者なのだが、近年は著作活動が趣味とのことで、毎月のように本を出版されている。小説もあるというから驚く。たとえば、平賀源内のような異色の人材を歴史上に発見して、現代人は驚嘆するが、現代にもそういった両刀使いの達人はけっこういるのだ。
 多作で有名な若桜木虔さんからも近作を頂戴した。自分で出版社を作ってまで著述を続けているので、病膏肓(やまいこうこう)に入る、といった状態だろう。会社員をしながら執筆を続けて来た私は、寡作の作家と自嘲まじりに自己紹介していたが、リタイヤした現在は、自嘲している場合ではない。寡作などと言ったら、それはもう「私は無能です」と言っていることに外ならない。
 そして、楠木誠一郎さんだ。最近は落ち着いておられるのか、ペースが落ちているような気がするが(町内会の仕事などでも忙しいのだろう)、また面白そうなタイトルの本が送られてきた。『馬琴先生 妖怪です!』。子どもたちを読書好きにするのに、楠木さんはどれほど貢献しているかしれない。その本は早速ワイフに奪われた。私が読むのはずっと先になるだろう。
 最後、待望久しい涌井伸二先生の『今日からあなたも 機械制御の「通」になる』だ。本を書きたくて書きたくてたまらないエネルギーであふれかえっている涌井先生なので、これは自由奔放に書き上げた、今現在機械制御の「通」寸前の技術者のための本だろう。早速、元勤務先の同僚に、社内教育で使えると思います、と推薦メールを送った。
 最後に今日の日記を書いておこう。本山キャンパスへ行って非常勤講義をし、すぐに帰宅して、ワイフと墓参に出かけた。秋をだいぶ感じる墓参りになった。
 家に戻ってすぐ、柿の実の回収の最後の仕事をした。幸いスズメバチはもういない。ゴミ袋いっぱいの柿を回収した。もったいないことをした。来年はスズメバチに奪われる前にすべて自分のものにしてやる。
 夕食後は、執筆のための資料読みをした。

10月20日(木)「病気の話題明暗・・・の風さん」
 次女を駅まで送ったあと、週一のリハビリに行った。本当に少しずつしか良くならないが、来週、筋トレに行ったとき、これまでできなかった最後の種目に挑戦してみるつもりで、それがもしできれば、回復はかなり明確になる。
 帰りにドラッグストアで買い物をし、UFJとJAのATMに寄ってから帰宅した。
 おにぎりの昼食後、例によってダウンした。どうもリハビリの後はなぜか疲労感が襲ってくる。
 体力不足の私などたいした問題ではない、と思える事件があった。会社の同期入社の友人の訃報である。ついこの間、1歳上の知人の訃報に接し、まだ死ぬなんて、と悲嘆にくれたが、同期の友人は私より年下なのである。現役であれば、病床にあったことを伝え聞いていたかもしれないが、リタイヤした私には時すでに遅しである。これからもこういうことは増えるだろう。何ともやりきれない。
 夕方からペコを病院へ連れて行った。2週間に1度の受診になっている。
 昨日は異常なほど元気だったが、それが体重測定に現れていた。なんと増えていたのだ。
 今日は治療薬の副作用が出ていないか、血液検査をしてもらったが、問題なかった。
 主治医の現在の処方は、見事に的中しているようだ。飼い主としてこんなうれしいことはない。
 帰宅してからのペコは、元気がなかった。私のリハビリと同様に、通院はかなりの体力を消耗するのかもしれない。

10月21日(金)「生産技術マネジメント研究会の一日・・・の風さん」
 ワイフがよく乗って行く電車で仕事に出かけた。目的地は金山で、駅からとぼとぼ歩きながら、決して早い時刻ではないな、と思った。すぐに現役時代を思い出すのだが、とっくに仕事を開始していた時刻だ。
 しばらく執筆が思うようにできないので、乗った電車で参考資料を少し読んだ。まるで走りながら考えているようで、現役時代と変わりない。リタイヤしたらたっぷり時間があるはずなのに。
 今日は生産技術マネジメント研究会で、午前中は尊敬する東レの永安さんの講義。いつもながらの豊富なデータで圧倒される。来週、経産省へ行くが、その前に貴重なデータを勉強できて、私はやはり悪運が強い。
 昼食後、チームミーティングになった。浜松では内職をさせてもらったので、今日はフル参加した。しかし、アドバイザーとしては、あまり多く口をはさんではいけない。議論が進むように、適宜、サジェスチョンを提供するだけだ。なかなかむずかしいが。
 帰りの電車でも参考資料を少し読んだ。
 運良くワイフに迎えに来てもらえ、今日の外での仕事が無事に終わった。
 これからが作家としての時間だが、現役時代よりもたっぷりあるのに、体力が残っていないので、あまり頭脳を使わないことでたらたらと過ごした。執筆は土日が勝負だな。
 今日もペコは落ち着いていて、これなら十分長生きできるのではないかと期待してしまう。 

10月22日(土)「人生の秋と実りの秋・・・の風さん」
 起床してカーテンを開けると、柿の木が実のない枝葉を寒々とさらしている。むろんハチ一匹飛んでいない。
 残量警告の点滅が始まっているアクアの給油に出かけた。燃費の良いクルマなので、いつもこんな感じだ。いざとなれば、エコモードさらにEVモードでつなぐことができる。しかし、爆走できないクルマはクルマじゃないと思っているので、私はキャメロンを愛する。
 帰宅して超安インスタントコーヒーを淹れ、バージンココナツオイルをまぜて、薫り高い疑似極上コーヒーに変化させて飲んだ。
 今日の集中テーマは、来年の児童文学の第二稿だ。資料のチェックをしながら、じっくりと書き進めていく。
 今日は面白い郵便物が届いた。来月出版される児童文学のカバーや帯の見本だが、何も印刷されていない本体に巻かれてあり、外見は本物そっくりだ。こういうのは初めて見た。
 それはともかく、非常に良い出来で、わたしは満足した。外見が良くて、内容もかなり頑張ったので、世間にかなりアッピールできる。
 集中して仕事をするのは良いが、まだまだ体力不足なので、夕方少しばてた。書斎で横になってみたが、寒い。秋が深まってくると、人生の秋をしみじみと感じる。枯れ木にはもう実は生らないが、どれだけ多くの実を鳥や虫たちに(もちろん人間にも)提供できたかが大事だ。私は、最後の最後まで実を生らす老木でありたいと思う。理想か夢かもしれないが、まだまだ残された時間はありそうだ。
 執筆のペースはややダウン。 

10月23日(日)「第二稿が完成・・・の風さん」
 昨日に続いて、薄曇りの朝。寒がりのペコが可哀そうだ。
 私は今日もほとんど留守番状態。出かけたくても、第二稿ができていない。明朝には届ける約束なので、頑張らねば。
 とは言え、スロースターターなので、雑用の片付けから始める。
 早めに昼食にした。冷蔵庫の冷やご飯を電子レンジでチンして、やはりいつもの卵かけご飯(笑)。飲み物は白湯だ。
 昨日の頑張りのせいかなあ、早くも疲労感をおぼえた。で、ベッドでダウン。
 目覚めたらもう夕方……なんてことはなかった。
 一瞬、日が差して、確かめると、ペコがサンルームで寝ていた。8月にはひどい症状だった。今頃は死んでいてもおかしくないくらい悪かった。それが、小康状態を維持している。ありがたいことだ(お金はかかるが仕方ない)。ペコが落ち着いているから、こちらも安心して仕事が進むのだ。
 晩ご飯までに第二稿はできなかった。
 ワイフとウッドデッキの修理の見積もりについて相談した。私は決断していたが、ワイフは想定予算より高かったので機嫌が悪く、私に最後の仕上げ塗装をやれと言う。何事も前向き、返事はイエスしかない私なので、了解して、明日、業者へ返事することになった。
 夕食後、第二稿のラストスパートに入った。
 午前零時過ぎに何とかゴールまでたどり着いたが、まだ「あとがき」ができていないし、構想も浮かんでいなかった。
 入浴して気分転換してから取り組むことにした。
 原稿ファイルの送付含めてすべてが完了し、ベッドにもぐり込んだのは午前3時半だった。

10月24日(月)「久しぶりの開放感・・・の風さん」
 午前8時起床。リセットされたようにいつもの朝がやってきた。
 ワイフがアクアで出かけたので、キャメロンで次女を駅まで送った。
 ツムツムでここ1週間クリアできなかった課題を克服できた。こいつは縁起の良いスタートだ。
 天気も上々なので、予定通り外出。GSで久しぶりにキャメロンを自動洗車し、満タン給油もした。それから近くのホームセンターへ行き、あれこれ欲しい物チェックをし(昔はすぐ買っていたような気がするが、今は自制することが多い)、目的の物だけ購入。
 海岸通りを選んで走ったが、窓を全開にしていても暑いくらいだった。もっと精神的に余裕があれば、一気に知多半島の南端まで駆け抜けて、両手いっぱいに広がっている青い海を眺めてくるのだが……。JPに寄って帰宅。
 遅い昼食をいつもの超高速ランチで済ませ、電話を1本かけてから、しばらくできなかった読書を少しした。
 それから、これも予定通りなのだが、裏の土地の草刈りに出動した。とにかく年内は鎌で刈る。徹底して苦労してから、来年は機械を導入するつもりだ。1時間半で、これも考えていた範囲を刈ったが、刈った草は草の生えていない部分にばらまいた。雨が降ると泥沼化するところだ。
 汗を拭き、着替えて、薫り高い疑似極上コーヒーでひと息。今日もペコが落ち着いているので、こっちも安心。
 しかし、未明に第二稿(あとがきと主な参考文献の一覧付き)を送付できたので、何とも言えない開放感を味わっている。これで原稿は校了時期に絶対間に合う。これだけ急いだのは、早く画家へ原稿を示すためだ。児童文学なので、画家の作業時間をしっかり確保しなければならない。もちろんその前には、編集者が画家を選定し、挿絵の配分などを決める必要があるが。
 晩ご飯の後は、明後日の非常勤講義の準備を少しした。

10月25日(火)「寒さと疲労でペコと昼寝・・・の風さん」
 急な冷え込みもあって、未明に、今シーズン最初の悪寒戦慄を味わった。きちんと対策をとらないと、これで死ぬかもしれない。
 しかし、本当に体が冷えているのだろうか。体温計をベッド脇に置いて、一度測ってみよう、生きている間に。
 次女を送って戻ってから、リハビリに出かけた。微雨というか霧雨程度の雨が降っている。病院では私だけ夏みたいな恰好だった。これでは悪寒戦慄を笑えない。
 とにかく寒いので、寒がりのペコが可哀そうだ。午後になっても室温が20度をこえない。とうとうペコのためにエアコンを入れることにした。せっかくリビングのエアコンをオンにしたので、昼食後も居座って、そこで読書をすることにした。
 楠木誠一郎さんの『馬琴先生、妖怪です!』を読み始めたら、面白いし、勉強になる。子ども向けにはこう書くべし、というお手本のようだ。児童文学に取り組んでいる私はもっと勉強と工夫が必要だと思った。今週の打ち合わせに反映させねば。
 そう思っているうちに眠くなってきた。いつもの、リハビリをした後の疲労感である。
 ソファで横になって、ペコと一緒に昼寝してしまった。
 目覚めてから、続きを読んで、結局、楠木さんの本を読了した。
 晩ご飯の後、明日の非常勤の準備をした。ネタはすべて揃っていると思っていたが、不完全だった。かなり手直しをした。説明スライドの追加もした。第二回目のレポートの課題と関係しているので、明日はしっかり説明しよう。

10月26日(水)「上京前のハッスルワーク・・・の風さん」
 実はラインゲームにはまっているが、ちっとも高得点が取れない。のろのろと指先を動かしている(あるいは速く動かせない)のが、主原因だとようやくわかってきた(笑)。
 非常勤講義に出かける前に、少し雑務をこなそうとPCを立ち上げたら、セキュリティソフトの有効期限があとわずかだというメッセージがポップアップで出た。そんなはずはない。自動延長サービスを適用していて、まだ半年残っているはずだ。
 変だと思って少し調べてみたら、バージョンアップのソフトをインストールしてしまったらしい。試用期間が切れるというメッセージなのだ、きっと。とは言え、イマイチ確信がなかったので、365日24時間対応のチャットで相談してみることにした。チャットは初体験ではない。
 すぐ相手が出て来て、推定通りだということがわかった。それから応用動作に入った。実は、ある理由から、半年後にバージョンアップさせたいと思っていたのだ。半年間の有効期限を無駄にせず、バージョンアップする方法を尋ねた。そうしたら、できるという。しかも、半年間は差額を取られない。出かける時刻が迫っていたが、そうすることにした。
 ……と、玄関のインターホンが鳴って、来客だ。宅配である。
 チャットにその旨書いて、しばし中断。
 戻ってから、相手の言う通りに、操作しようとしたが、途中でわからなくなった。すると、リモートでやってあげましょうか、と来た。もう時間がないので、お願いすることにした。
 ほどなく、私のPCのカーソルが相手のものになり、どんどん操作されていった。
 ラストの相手のメッセージはほとんどマニュアル通りだったが、ここまでで、私なりに推定を楽しんでいた。相手の素性である。名前は中国名だった。文章は完璧な日本語で、女性的な文体だった。もし、その通りだとすれば、相手は中国にいて、かなり高度な知識とスキルをもつ人だが、低賃金で働いているのだろう。しかし、名前が架空だとすると、相手は日本人で、場所は沖縄だろう。やはり低賃金で働いていると思われる。
 最後のこちらからのメッセージは「ありがとうございました。再見!」だったが、変化球に対する反応はなかった。変な対応をするなと厳命されているのか、中国語のわからない女性だったのかもしれない。
 以上、長々と書いたが、チャットは(途中の中断含めて)30分ほどだった。執筆マシンにバージョンアップされたセキュリティソフトがインストールされて終了した。
 急いで、キャメロンで自宅を出、いつも通りに、途中駅から電車に乗って、本山キャンパスへ着いた。
 昨日、完璧に準備した講義をし、終わってからコーヒーで一服してから、本山キャンパスを後にした。
 まっすぐ帰宅し、上京の準備の最後の仕上げをした。2時間近く激しい雨が降った。
 夕食後、次女の迎えと入れ違いに、私は最寄りの駅から電車に乗った。
 また貧乏学生みたいに夜行バスに乗って東京へ向かった。

10月27日(木)「東京ボケ男・・・の風さん」
 車中で熟睡したような気はするが、目覚めた気分はイマイチだった。新宿バスタは相変わらず活気がある。
 念入りな洗面を終えて、やっと自分に戻ることができた。
 持参のパンで朝食にした(が、朝の薬の服用を失念した)。
 次の目的地へ出発するまで時間があるので、ラインゲームの後、読書をした。来年の出版のためだ。
 事前に立てたスケジュール通りの電車に乗った。通勤ラッシュの時刻は過ぎていたはずだが、それでも混んでいて、座れない。
 一度乗り換えて、目的地に着いた。東京ビッグサイトだ。展示会の見学が今日の最初の予定だった。
 ところが、ビルの中に入ってみると、な、なんと……、別の展示会をやっている。おかしい。変だ。日にちを間違えたのか? しばらくうろたえた後、招待券を確かめると、ぎょぎょ〜ん、会場は幕張メッセだった! せめて電車に乗っている間に気が付いていれば、わずかな遅れで現地へ入れたのだが、もう手遅れだった。見学時間は午前中しかないのである。
 あきらめて、読書の続きをすることにした。勉強しながら、そういえば、昔も一度こんなことがあったなあ、と愚痴っぽく思い出す。東京雨男は、これから東京ボケ男になりそうだ。
 当初予定していなかった腹ごしらえもして(ここで忘れていた薬を服用)、昼に移動を開始した。
 二度目になるが、霞が関の経産省に着いた。アポイントメントはとってあったが、本人確認のための免許証を忘れた。あ〜あ、とまた少し落ち込んだ。
 しかし、親しい大臣官房審議官との1時間は楽しかった。マルチサイエンスライターとしての全方位ディスカッションができた。話題はさまざまな展開をしたようでも、結局、日本の経済文化発展についての意見交換だったのである。
 品川へ移動し、待ち時間を利用して、また読書(勉強)の続きをした。
 夕方から、出版社との打ち合わせになった。今回頑張って第二稿を送ることができたので、当初スケジュールを遅らせる理由はまだ発生していない。次のステップに入ることになった。次の第三稿で初校ゲラができるのだ。頑張らねばならない。
 帰りの新幹線車中でも、読書(勉強)をした。読了するところまではいかなかったが、あと少しだ。
 前回の東京からの帰りと同じスケジュールで、前回は名鉄が事故でダイヤが狂ったが、今回はそんなこともなく、予定通りの時刻に帰宅することができた。
 疲れたので、明日の準備をしてさっさと就寝した。

10月28日(金)「雑務減らし・・・の風さん」
 いつもの時刻に起床。外はどんよりしている。柿の木は葉っぱの数もだいぶ減っていた。寒そうだ。
 次女を駅まで送った後、会社の先輩から電話があった。あるお誘いをいただいていて、たいへん申し訳ないのだが、気が進まないため、辞退している。超前向き人間の私でも、今回のお誘いは荷が重く気も重くなる。珍しいことだが、……。
 朝食を摂ってすぐ総合病院へ出かけた。そういえば、4週間前、総合病院の後、先輩と会って歓談したのだった。あれから4週間か……。時の経過速度が分からないまま、日々突っ走っている。現役時代と変わらないということは、性分なのかもしれない。
 病院に着くころには小雨が降り出した。
 4週間前は、病院の後、たくさんスケジュールを詰め込んでいたが、今日は、買い物だけにした。
 スーパーマーケット(古い表現だな)に着いて、目的の買い物をし、精算するとき、メンバーズカードを忘れて来たことに気が付いた。せっかく5%オフになる日だったのに……。今日もボケか。
 帰宅し、昼食後、今日は昼寝はせず、雑務の処理に取り掛かった。
 気温が低いせいもあるだろう、ペコの調子はよくない。治療ができているわけではないので、悪くなることはあっても治っていくことはないのだ。何とも悲しい話だ。
 今日はあらかじめ目標にしていたのだが、読みかけの本を2冊読了することができた。これで通算40冊をこえた。年間読書数が40冊をこえたのは何年ぶりかわからない。来月、今年2冊目の本が出るが、1年に2冊(単著を)出版するのも初めてである。来年も最低2冊は確保して、夢だった作家に近付かなければならない。そのためには、年内にどれだけ仕込めるか、だ。

10月29日(土)「ショルダープレス復活・・・の風さん」
 昨日に続いて雑務減らしを今日の目標にした。
 やっと時間がとれたので、MacbookAirにセキュリティソフトをインストールしてみた。以前はできなかったのに、今日はバッチリできた。バージョンアップされていたのだ。これで、もう1台PCを購入しても安心して使える。しかし、その前に、買いたい電気製品は色々とある。書斎の蛍光灯もそれらの一つで、インバーターが不安定なのである。とりあえず我慢して使っている状態だ。また、光通信に変更したことで、2階に電話が通じなくなってしまった。試してみたい対策案がないわけではないが、まだやっていない。これを試してダメなら、電話も更新する必要がある。……と思っていたら、今日、2階のトイレがおかしくなった。つまり気味なのである。ワイフからは庭のログの水道が漏れるという情報もあり、やれやれ、やることがいっぱいだ。
 夕方、筋トレに出かけた。トレーニングルームに入る前に、メインアリーナで開催中の町の文化祭展示を少し見た。事務局がうるさいことを言うものだから、年々、展示が減っている。工夫して盛り上げていこうという気がないのだろう。
 筋トレでは、11か月ぶりにショルダープレスをした。痛くてできなくなり、それで筋トレが中断した種目である。明らかに五十肩は快方に向かっているようだ。
 この際なので、読書のペースも加速した。

10月30日(日)「読了加速・・・の風さん」
 ここ数日、ペコはあまり元気がない。食も細くなっているようだ。相変わらず下剤は嫌いみたいなので、投与する量を少し減らしている。
 一気に頑張り過ぎると、私も疲れてしまい、ダウンしてしまうので、マイペースで少しずつ、今日も雑務減らしに取り組んだ。
 ネットでサプリメントを発注し、トレイのつまり対策の知識をネットで入手した後、重要参考文献の読書に着手した。
 今日も超高速ランチ(卵かけご飯)にし、その後も読書。
 夕方から草刈りに出動した。天気も作業には最適だ。別名「行楽日和」というやつ(笑)。
 最近、町内のあちこちで草刈りがされているが、今徹底的に刈っておくと、かなりもちそうだ。つまり、雑草の生育が、これからにぶる季節に入るみたいだ。
 晩ご飯の前に、重要参考文献の読書を終えた。これで、今年通算43冊目の読了となった。頑張れば、年末までに50冊に到達するかもしれない。
 次女が帰宅し、駅までクルマで迎えに行く必要がないので、晩ご飯のときにお酒が出た。秋田のお酒「雪の茅舎」である。美味かった〜。
 しかし、夫婦で300mlは酔うのに十分過ぎる量で、その後はほとんど仕事にならなかった。
 午前零時過ぎに、とうとうPCを発注した。型落ち品で、中古だが、たぶん誰も使用していない。メモリ増設とHDのSDD化をオプション選択しても、信じられない安さだ。オフィスは入っているし、セキュリティソフトは、自前のが、あと1台分使えるので、追加費用はおそらく「なし」で使えるようになるだろう。長女の部屋に常備しておくものである。

10月31日(月)「2階の固定電話が復活・・・の風さん」
 午前中にこれまで気になっていたことの一つ、2階の固定電話が使えなくなっていた問題の対策に取り組んでみた。
 新築直後は機能していたのだし、昨年から電話回線を利用した光通信に変更したのだから、理論的には、接続を間違えなければ、2階の固定電話は復活するはずだ。ケーブルや分割するための器具などそろっているので(私は家庭内では歩く電気屋と呼ばれている)、思った通りに配線し、分からないところは、実験して、すべての接続が完了した。
 ケータイで自宅へ電話してみると、……見事に2階の固定電話も呼び鈴が鳴った。これで当面、電話の問題はなくなった。
 それで疲れたわけではないが、午後、1時間半ほど昼寝した。
 ルーチンワークはすべてこなし、2人の知人へ実に久しぶりにメールを送った(1人は、アドレスが無効だったので、オフィスへ)。
 夕食後、ワイフと雑談している中で、また笑い話のネタが発生した。4年くらい前に、名商大の社会人学生だったころ、学生に「AKBよんじゅうはち」と言って笑われた。それと似た話だ。どうも私は浮世離れというか俗世間を知らなすぎる。今日まで長い間、私はマツコ・デラックスを女性だと思っていた。まさか男だったなんて。男なら男らしく美輪明宏とか美川憲一とか男の名前をつけろよ。
 ツムツムにはまっていることがばれているので、こんな話題もいいか。先週の金曜日からピックアップガチャが始まって、ハロウィーンらしいツムが入っていた。私は以前からかぼちゃミッキーがほしかった。今回、ガチャの中の15個のツムのうち3個がかぼちゃミッキーだった。ピックアップガチャが終了する午前零時寸前に、3個目のかぼちゃミッキーをゲットすることができた。そのために13回もガチャをやらねばならなかった。

2016年11月はここ

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